透GRAD河原コースを100周して得たものは。
ツイッターで少しバズったので知っている方もいると思いますが,
わたくしあらがき
透GRAD河原コース100周達成しました!!!!!!
まとめサイトには「本当に100周走ったなら」みたいな書き方されてましたけどこれを見たら信じてもらえるのだろうか。
【シャニマス】【衝撃】透GRADに感動して聖蹟桜ヶ丘の河原を100周したPが現れる!?wwwww←283プロの伝統なのか? | アイドルマスター シャイニーカラーズ GameINN
長かったです。
28年生きてきましたが,お天道様に誓って,妥協せず一つのことをやり抜いたと言い切れるのは人生で初めてです。
有難いことに100周達成ツイートをした時には多くの人からお祝いの言葉を頂き,多くの人に反応を頂けました。ありがとうございます。
透のために走ったとはいえ,たくさんの人に頑張ったことを認めて頂けるのはシンプルに嬉しいものです。
RT先のツイートで自分のツイートへどんな反応をしているのか一括で見れるサイトがあるんですけど,その中で嬉しかった反応をまとめてみました。(承認欲求オタク)
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こういう奇をてらったような目標を達成している人を見ると「あれはヤバいオタクだ」「世の中にはこんなのもいる」と思うかもしれませんが,僕も100周走るまでは外野から凄いオタクを眺めるオタクでした。
グレフェスで1位も取ったしPカップでプラチナも取ったし,もちろんどちらも嬉しいんですけど,頑張ったから取れたかと聞かれると死ぬほど頑張ったわけではないな…と自分を心から肯定する気にはなれずにいました。
ただ,この100周は自分に嘘をつかず,妥協せずやり抜いた。自分を褒めてあげるのは簡単なことではないと思うので,今は凄く晴れやかな気持ちです。
あらがきPは100周から何を得たか
結論を簡単に書いてしまいます。
あらがきが100周して分かったことは,
『浅倉透が頑張っているのを見て,俺も実は頑張りたいと思っていたことに気付かされた。』
これに尽きます。
浅倉透が100周を走った理由は何か頑張りたかったから。
あらがきは透の目標すらないのに闇雲に頑張る姿に,GRADを終えて自分の生き方を齢17にして見つけて進もうとする姿に,感銘を受けました。
正直に言うと,走り始めたきっかけは,あまりの感動にいてもたってもいられず100周したるわ!と完全にその場のノリだったのですが,最終的に気付いたのは自分も何か頑張るきっかけを欲していたということです。
一方,これまでの僕自身は勉強も部活もその時々で頑張ってはいたと思うのですが,前述のように死ぬ気で頑張ったかというとそうは思えない。
今まで僕は何一つとして,胸を張って頑張りきったと言えることはなく,そのことが心のどこかで引っかかっていたということ。そしてそれがあらがきにとっては浅倉透と重なって見えたということです。
しかし,走り始めた時は自分が『頑張りたい』から走るわけではありませんでした。
ただただ,素晴らしいコミュを作ってくれたことに対する感謝が溢れ出して行き場がなく,衝動的に走り出しただけです。
ここまではいつもの僕です。けいおんを見て感動してギターは買うけどろくに続かずホコリを被っているみたいなことをこれまで何度繰返してきたか分かりません。
ただこの100周を同じように途中で投げ出さなかった理由があります。
それはこのコミュが『何気ない目標のために』頑張りたい人の物語だからです。
例えばこの歳で野球アニメに影響されて野球を始めたとしましょう。
その野球アニメで甲子園で優勝したとしたら,自分が甲子園にいけない立場の人はモチベーションを失った時に支えてくれるものがなくなります。
もちろんここでモチベを失わず続けられる人は素晴らしい人で,おそらく過去でも自分の頑張りたいことにはまっすぐ向き合ってきたのでしょう。
しかし,僕程度の意志の持ち主では自分を奮い立たせられるロジックが存在しなければ本当に辛いとき,本当に投げ出したいときに自分自身を繋ぎ留められないのです。
すなわち,今回の100周にはその『ロジック』が存在しました。
それは,もしこの100周をちょろまかしたとして,何が楽しいの?ということです。
例えば
①途中で止まってしまったけど,それを1周として計上した。
②走ってないけど家でゴロゴロしながらiPhoneのストップウォッチを20分くらい回しておいてスクショして「しんどかったー」とツイッターに上げた。
こんなサボりをしたっていいじゃないですか。
僕は毎回一人で走りに行ってますし,誰に咎められるわけでもない。
なんなら胡麻化さなくてもフェードアウトすればいい。
フォロワーに「最近走ってないじゃん?」って言われても「足を痛めちゃって…」とか言っとけばいいでしょう。
ではなぜ僕が走りきれたのか。
『何をどのくらい頑張ったらいいのか分からない浅倉透』が突如転がってきた河原コース100周という雑な目標でいいから,何か頑張りたいと思った。むしろ雑で分かりやすいものが良い。そう思って走り始めて達成した100周から直接的に得られたものはなかったけど,自分が生きていく場所はここでいい,ここがいいと思えた。不特定多数の誰かにはどう思われてもいいけど,自分を食べて『生きる』誰かのために『生きたい』と思うことができた。
そんな透を見て,僕も50周くらいした頃に気付くんですよ。
俺も,何歳になっても,何かを本気で頑張ってみたかったんだなあと。
今となっては仕事でも部活でも趣味でも,本気になって自分を奮い立たせて頑張ることなんて無いけど,何でもいいからきっかけが欲しいと深層心理ではそう考えていたことに気付けました。
走ること自体はしんどいし昔から好きじゃないし楽しくはないけど,頑張ることは楽しかったんですよね。僕自身も。
あのコミュの内容からだけでは断定できないですけど,おそらく透が100周走ったのも分かりやすい何かを頑張ることで自分が『生きる』意味を確かめたかったのではないでしょうか。
ただここまで頑張りたいと思えても,自堕落な僕は調子が悪い日,聖蹟コースのスタート地点を出発して長い坂を登って橋を渡る頃(★印のあたり)で(調子悪いし辞めようかな…スタート地点に戻ってふくらはぎをマッサージしてからもう一回走りなおそうかなあ…)等と逃げを考えるわけです。
まだ500mも走っていないのに。
ここまで頑張る理由が揃っていてもこの期に及んで逃げようとする意志の弱さ。
しかしそう思っても結局100周の間サボりや妥協をしなかったのは,浅倉透が頑張ったように自分も頑張りたかったからでしょう。
例えば,これが「ギターが上手くなりたい,ある曲を弾けるようになる」という『目標』であれば「毎日練習する」という手段を多少妥協しても最終的に『目標』を達成できれば一定の満足感や達成感は得られると思います。
ただし,僕のこの課題は『目標』が「頑張ること」なのです。
頑張らなかったら何の意味もない,何のためにやっているか分からない。
しかも誰にやれと言われているわけでもない。
自分の頭の中に居る浅倉透に胸を張って100周したよ!と言えるかどうかが重要なのです。
結果,どの1周を思い返しても常に頑張り続けた100周だったと,今僕は胸を張って言うことができます。
おわりに
読み返して思いますが,今まで書いたブログの中でも断トツの駄文ですね。ひどい。同じようなこと何回も言ってるし。
まあでも仕方ないです。
結局何が言いたいか分からないですけど,100周することは楽しかったし満足できました。
そんな充実した半年間を過ごすきっかけを与えてくれた浅倉透に,シナリオや演出を担当されたスタッフさんに,ストーリーに引き込まれる演技をしてくれた和久井さんに,その他関わられた全ての人に感謝しています。
やっぱり人間って何かを頑張ったなら,それを披露する場が欲しくなりますよね。
ということで,コロナが落ち着いたらマラソン大会に出場してみようと考えています。
透GRADを読む前の自分にこんなことを話しても信じてくれない気がします。
さて,近々追加されるであろうノクチルのLanding Pointを皆さんと一緒に震えながら待つとしますか。
では👋